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前に書いたようなことでほんとに「いまさら」だが糸井氏の「インターネット的」を読んだ。刊行が2001年というアメリカでネットバブルがはじけた頃で、Web1.0(というより0.89bくらいか)時代だったのに、語られている本質は完全にWeb2.0なのが驚異的だ。

「おいしい生活。」など数々のヒットコピーで知られる糸井氏が1998年に始めた「ほぼ日刊イトイ新聞」は現在日本を代表する人気ウェブサイトになっている。本書は「個と個がつながる」インターネットというメディアの意味を優しい語り口で説いた異色の文明論。「インターネット的なもろもろは、ぼくが若いときにはあきらめていたような夢を、もう一度拾いあげてくれた」という結語が深い。

本筋とは違うかもしれないが、印象に残ったのは「『ほぼ日』を始めたきっかけ」の一節だった。糸井氏は四十五歳くらいのころ「ものをつくることへの強い危機意識」を感じるようになったのだという。

危機感を持った理由は、つくる側の人間が、力関係の上で圧倒的に弱いという状況に気づいたからです。四十代後半になってくると、得意な仕事を確保して、いわゆる「偉い人」になってゆくだとか、貯金をしてやっていくだとか、そういう方向以外で食っていける人が、まわりにいないわけです。…出版社の知り合いなどの話では、かつて花形作家であったような人たちが、かなり苦しい状態になっているということでした。ものすごく、さびしいものを感じました。

まず、あの糸井氏にして、この危機感をもったところがすごいと感じる。が、こういう危機感はある意味ミッドライフ・クライシスのひとつの典型ともいえる。ここから(ギークでも理工系でもなくて)「それならインターネットだ!」と発想するというのは…やはり天才というのは世の中にいるんだな、と思わざるをえない。

「さる大新聞」からの電話取材を断らせたら、電話口のアシスタント君が「イトイはなにやって食ってんだよ!」と罵倒されたというくだりも印象に残った。単なる個人の非常識という以上に伝統的メディアという「権力」の腐敗が感じられる。伝統メディアには、メディアの権力を自分の権力と錯覚させるようなメカニズムが内在している。新聞という戦車、 テレビという爆撃機に搭乗していれば、自然に一般住民を見下す特権意識が芽生えてくるだろう。しかしインターネットでは誰もが「一般住民」だ。インターネットの世界に入ってきても今までどおり戦車に乗っているつもりでいればとんでもないことになる。いや、そんな小さいことでなく、糸井氏は、ここでその後のインターネットによってメインストリーム・メディアに退潮と落日が訪れることをはっきり予感されていたのではないだろうか。

こんなふうに挙げていけばキリがない。いや、実にいろいろなことを感じさせる本だった。

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