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孔子が政治で一番大事なことは何かと尋ねられて「必ずや名を正さんか(論語・子路)」と答えている。

自動車が登場したとき「馬なし馬車」と呼ばれた。無線(ワイヤレス)というのもそれまでの電信に対して「線がない」という命名。保守的なイギリスでは未だにラジオのことをワイヤレスと呼んでいる。ラジオというのは放射(radiation)からの造語で、こちらは前向きだ。

自動車(自ら動く乗り物=automobile)も前向きの態度での造語だが、こちらは日常生活への普及と同時に、馬車以前の車(car)という普遍的名称への先祖帰りが起きているのが面白い。

マーシャル・マクルーハンのアフォリズムの一つに「人類はバックミラーを見ながら未来へ入っていく」というのがある。未来そのものは見ることができない。未だ存在しないからだ。そこで人間は新しいものが現れると過去の枠組みに無理やり当てはめて未来を類推しようとする。それが「馬なし馬車」であり「ワイヤレス」に現れる態度だ。

が、変化によって不利益を被る人間は、すでに事態が過去からの類推を許さなくなっているのに古い名前に固執することで過去の枠組みを守ろうとする。

名前というのは(ウンベルト・エーコを持ち出すまでもなく)、対象と独立に恣意的に付けたり外したりできる飾りではない。名前とは人間のモノの見方、世界に対する態度そのものだ。

世の中に全くの無から有が生じたのはビッグバンで宇宙が誕生した時だけだ。それ以後は、あらゆる現象は先行する現象からの変化として生じている。

したがって「そんなものは前からあった。新しく名前をつけているだけだ」という非難は、往々にしてそういう変化を否定したい態度から出ている。実態になにも変化がないところに新しい名前を提案しても人が使うようにはならない。企業がCMに莫大な金をかけているにもかかわらず驚くほど貧弱な成果しか上がっていないのを見ればわかる。

新しい名前を人が使うようになるということは、それ自身がこの上なく重大な事件である。だからこそ「必ずや名を正さんか」なのだ。

考えれば孔子も春秋後期という激動の時代に生きていた。孔子はおそらく初期周王朝を理想とする復古主義的立場から「名を正そう」としたのだろう。しかし「名前の力」を正しく認識した最初期の思想家の一人ではあった。

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