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昨年の暮れ、神保町の古書店で白川静「中国古代の民俗」(講談社学術文庫)を手に入れた。白川静の著書のうちでもあまり知られていないものだが、日本民俗学の方法を中国と日本の古代歌謡に適用するという白川学のモチーフが丁寧に説明されている。

注目は、冒頭の「わが国の民俗学」だ。ここで日本民俗学の一方の源流である柳田国男を「一国民俗学の立場は、その出発において、すでに困難な問題を追うものであった」と厳しく批判し、柳田の静的な民俗学ではなく折口的なダイナミックに起源を志向する方法を採用することを明確にしている。

柳田の一国主義は幕末の尊皇攘夷的国学の流れから来ているのではないか。私は以前から柳田の「常民」絶対視は復古的な反動思想の一種だとにらんでいたから、白川が一国民俗学を強く否定したことは大いに腑に落ちた。

日本というのは成立以来ずっと中国文明の周辺文明であり、明治以後は西欧文明の周辺文明となった。周辺地域の知識人は、往々にしてその現実に反発して一国主義に走る。西欧周辺国のロシアではスターリンの一国社会主義理論が猛威を振るったし、現在のイスラム原理主義も巨視的に見れば周辺地域の反発だろう。

わが国では明治以来、官学アカデミズムが知識の輸入業者のギルドを形成し、いっぽうで国粋主義者が輸入業者に対して感情的に反発するという構図が長く続いてきた。輸入業者は「横のものを縦にする」だけで独創性がなく、独創性を追うものは狭く不毛な一国主義の罠にはまる。

その点、日本と中国の古代を東アジア文明として一視同仁に解明した白川静は偉大な例外といっていいだろう。ただし白川学は漢字文化圏の外にはほとんど視野が及んでいない。そこに思想として見た場合、漢字文化圏を絶対として理想化するあまり、「大東亜共栄圏」や「五族協和」的なユートピア思想につながる危うさがある。

もちろん、これは白川学の本旨とは直接の関係はない。しかし、これだけ白川学が広く知られるようになった場合、必ずしも無視できない危険かもしれない。

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諸橋「中国古典名言事典」(以下「名言」)をぱらぱらとめくっているといろいろおもしろいフレーズが目に入ってくる。そのまま忘れてしまうともったいないのでメモしておくことに。 本文は引用だが、解釈はパラフレーズしてある。
鼫鼠(せきそ)の如きは貞なれども(あやう)し (易)(p228)
 *セキはネズミ偏に石。 ムササビのような〔進退をしていると〕やっていることは真面目でも身が危ないことになる。諸橋によるとムササビは「臆病で欲深な動物」の代表という。
車、甚だ沢(ひかり)あれば、人必ず瘁れる。(p259 左伝)
上の者がぴかぴかの車を乗り回すようになると使用人はたまらない。
書を校するは塵を払うが如し。一面払えば一面生ず。(p713 夢渓筆談)
書物の校正は塵を掃うようなものだ。一つ終われば、別のところにまた塵が溜まっている。〔終わりがない。〕
千金は死せず、百金は刑せられず。(p693 尉繚子)
今の中国がやはりこのとおり。
流れに枕し、石に漱(くちすす)ぐ。(p707 世説新語)
晋の孫楚が「石に枕し、流れに漱ぐ」を言い間違えたのに「流れで耳を洗い、石で歯を磨くのだ」と強弁したという故事。夏目漱石の号の由来だが「流石」(さすが)もこれが語源という。
虎に騎るものは勢い下りるを得ず。(p686 五代史)
一度ゴルフを始めてしまうと収賄になると分かっていても止められない。
文は拙を以って進み、道は拙を以って成る。(p581 菜根譚)
文はヘタでもこつこつやっていれば大成する。道徳も不器用な人間のほうが修養が進む。
節義を以って標するものは必ず節義を以って謗りを受く。(p572 菜根譚)
節義を売り物にしている人間は必ず節義で痛い目に遭う。
淫奔の婦は矯めて尼となり、熱中の人は激して道に入る。(p583 菜根譚)
淫奔な女が突然尼になってみたり、過激な人が逆上して出家したりする。仏道にとっては邪魔なことである。
君子は進め難くして退け易し。小人はこれに反す。(p631 宋名臣言行録「司馬光」)
君子は地位に就きたがらず、就いてもいさぎよく退く。小人はその逆。
書は誦を成さざるべからず。(p631 宋名臣言行録「司馬光」)
文章は暗誦できるほどに読み込まないと実際の役には立たない。

5月2日、デジタルメディア研究所(デメ研)訪問。橘川所長とは30年来の付き合い。ここしばらくご無沙汰していたが、若いときからの友達というのは会えば一瞬で昔に戻るのがいいところ。

橘川所長から「論語カルタ」の話を聞いた。佐賀県の多久市では論語から100句選んだ百人一首式カルタを小学生にやらせているという。もともと多久は「多久の雀は論語をさえずる」といわれるほど江戸時代から論語が盛んなところだった。その伝統が消えるのを惜しんで百人一首式に「上の句を読み上げ、それに続く下の句の札を取る」というゲームにしたところ小学生がよろこんでやるようになったという。ただしあくまでゲームはゲームとして楽しませて、句の意味の解釈など「勉強」は強制していないらしい。

わが国の論語学習というのはもともと「し、のたまわく~」とひたすら唱える素読が基本だったのだから、論語カルタはある意味back to the basicsともいえる。

論語の語釈は無数に出ているが、管理人の愛用しているのは中央公論社の貝塚茂樹論語。窓際に置いてあったのが雨に遭ってぼろぼろになった「世界の名著」版をガムテープで装丁wして使っているが、文庫版も出ている。孔子その人についてはなんといっても白川静の孔子伝が圧倒的な迫力だ。このブログでも以前紹介しているが、孔子の生きた時代背景を知るには春秋左氏伝が一等史料、かつ実に面白い。

実は大きなプロジェクトを抱えていて、原稿書きが詰めにさしかかって数週間になる。頂上はそこに見えているのに、最後の急斜面が登れない。食い扶持の翻訳の仕事もおろそかにできないし、七転八倒の日が続く…

こういうときには気があせってさすがに長編小説などには手がのびない。中国古典なんかちょっと気分転換にいいだろう、断片的だしメンドウそうだし、そうそう一度に長く読めるもんじゃないし―と中公文庫版「春秋左氏伝」に手を出したのが運の尽き。これは病みつきになる。

クーデターで追われた王太子を守って脱出する大夫が追っ手に向かって「自分は不仁の者に負けるはずがない。先に射よ」と挑戦する。追っ手は三本の矢を射るがいずれも外れる。そこで大夫は一矢で追っ手を射殺す。(哀公16年)

論語に「公山不狃、費によって反す」と簡単に記されている事件が手に汗握る大活劇になって描写されている。

梟雄、陽虎(陽貨)は魯の実権を握る貴族、季氏のトップを一気に暗殺してクーデターを図るが、相手は寸前で馬車を駆って辛くも味方の屋敷に逃げ込む。陽虎は屋敷を囲んで攻めるも失敗―>

仲間が「追っ手が来ますぞ」と言うと陽虎は「魯の連中、余が出国すると聞いたら殺されずにすんだことを喜んで、余を追いかける余裕などあるものか」

とうそぶいて、行きがけの駄賃に宝倉から(国の象徴の)宝玉・大弓を取り出して亡命する。(定公8年)

「左伝」が各種のイデオロギーに凝り固まった観点から歴史を解釈したがる学派から2000年にわたって偽書だと攻撃されてきた理由がわかる。おもしろすぎるのだ。

周到綿密な小倉注で「左伝」が素人にも読めるようになったのはまことにありがたい。が、それでも人物の名前が難物だ。日本でもたとえば勝海舟は同時代の資料で「安房守、軍艦奉行、陸軍総裁、麟太郎、勝伯爵…」などさまざまに呼び分けられる。注と系図があっても前後の事情がわからないと誰が誰やらなかなか飲み込めない。また編年体のため、一連の事件があちこちにばらばらに分散している。

こういう歴史書はhtml化して、人名、事件にリンクをつけたらたいへん読みやすくなる。CD版があったら5千円くらい出してもいいのだが、出版社に要請しても「電子化するとWinnyに流されるからイヤだ」と言われそうだ。難しいところではある。

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