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クーリエ・ジャポン(講談社)は時折立ち読みするだけだったが、今回初めて買ってすみずみまで読んだ。カバーストーリーだけでなく、全体に記事のレベルが高いことを発見。翻訳も読みやすく、デザインもよい。

「サヨナラ、新聞」特集の元ねたはアメリカの中道保守系の老舗総合誌The New Republic。Paul Starrプリンストン大教授の概論がメイン。Tehcrunch 日本版やメディアパブの読者には周知の情報だが、活字媒体でアメリカの新聞の壊滅的現状がこれだけまとまった形で紹介されるのは珍しい。

しかし、クーリエ・ジャポンのサイトを見れば一目瞭然だが、この雑誌自体のオンライン対応はないに等しい。個別記事へのパーマリンクさえないから驚く。これだけのコンテンツを紙でしか出さないのはもったいない。なぜウェブに展開しないのか?(アップデート参照)

そういえば、少し前に講談社ポータルサイト編集部解散 デジタル事業が頓挫?という記事が出ていた。印刷物を写真に撮って並べただけのポータルともいえないサイトが儲かるわけがない。

「サヨナラ、新聞」の前に日本では「サヨナラ、雑誌」の日が近付いているのだが。


アップデート:Twitterで@fumi氏から「クーリエ・ジャポン」はiPhone戦略だとご指摘あり。ありがとうございました。

なるほどサイトにiPhoneのタブがあった。1号分のフルバージョンが350円で無料のライト版もあるという。

それはたいへんけっこうだ。講談社じゃ「オンラインメディアが誰もわかってないらいしい」というのは取り消し。

しかしクーリエ・ジャポンのサイトのトップページを一見しただけではiPhoneで配信されているとは気付かない。いくらiPhoneがブレークしはじめているといってもそのリーチはまだウェブ全体とは桁違いだ。App Storeで本当に売ろうとするならサイトのトップの目立つところにリンクを載せるべきだろう。(iPhoneで配信中というウィジェットは右サイドバーのスクロールしなければ見えないような下の方に貼ってある)。各号のパーマリンクすらあるのかないか分からないようなデザインにしておく理由にはなるまい。

クーリエ・ジャポンがApp Storeで買えるのはけっこうだが、それならどうしてもっと効果的に周知させようとしないのか? まるでiPhoneで売っているのを知られたくないようだ。というよりどうもそれが本当のところではないのか? 書店、取次を怒らせまいと戦々恐々の社内保守本流にデジタル勢力が抑えこまれるというよくある話ではないだろうか?


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著者は日本のウェブ出版のパイオニアだ。日本版ワイヤードを創刊したのが94年だからもう15年前になる。紙ではサイゾー、ウェブではGizmodo、MYLOHASなどを出版し、現在でも新しい出版のトレンドの先頭をエネルギッシュに突っ走っている。

実は私も「既成メディア(特に新聞)の将来」について本を書こうと計画しているのだが、これだけ濃い(かつ、おもしろい)メディア論を現場から発信されてしまうと、もう書くことがなくなったか?と心配になる。

新聞社の業績不振、雑誌の相次ぐ休刊など、メディア業界に逆風が吹き荒れるなか、出版はこれからどうなっていくのか?新聞、雑誌はウェブ時代においてもはたして生き残れるのか?インターネット登場以前からコンテンツ製作に携わり、雑誌『ワイアード』『サイゾー』、ウェブの人気媒体『ギズモード・ジャパン』を創刊、眞鍋かをりら有名人ブログ出版をプロデュースしてきたITメディア界の仕掛け人・小林弘人が、世界のウェブメディア最先端情報を紹介しつつ、今後メディアビジネスで成功するため必須のノウハウをおしげもなく公開。福音か、はたまた最後通牒か?次代メディアの運命を左右する衝撃の書。これを読まずして出版、メディア人は生き残れない。

本書の原型は2007年から2008年にかけて日経ビジネス・オンラインに連載された「誰でもメディア宣言」だ。

小林氏は「出版にウェブも紙もない」という事実から出発する。

私が本稿で言うところの「出版」は、「Publishing」、つまり公にするという行為を指します。

テクノロジーの発達によってインターネット/ウェブという新しい巨大な社会的インフラが成立したのだから、当然パブリッシングの全エコシステムも変わらざるをえない。ところが、日本の既成メディアの対応は黒船が来たときの江戸幕府だ。

いままでの「出版」という言葉がすでに死滅しているということで、これからこの「出版」という言葉を再定義する必要があります。、実は水面下では、鳴門海峡も真っ青な渦が巻いています。この渦を看過していると、ここから先の10年、いや、20年先までもが決まってしまうというのにもかかわらず、日本のメディア人の多くはこの事実に気づかないのか、あるいは気づいても、手足を縛られ、なにもできない〔でいます〕。出版社の方と話をしていると、「あなたの会社はなぜ紙とウェブの出版を両方やっているのか?」とか「腰が定まりませんねえ」と言われるのです。

「腰が定まりませんねえ」とは処置なしだ。創業から111年の山海堂から、最近では編物、手芸の老舗、雄鶏社まで「堅実」といわれてきた出版社が次々に倒産している。「腰が定まって」いるというより「座して死を待っている」といったほうがよさそうだ。紙の雑誌の休刊はそのニュースだけで月刊誌が創刊できるかと思うくらい多い。

だが日本ではブログをビジネスとして成功させているパブリッシャーも数えるほどしかない。というより、小林氏のインフォバーン・グループが唯一の例かもしれない。

これは変革期の通例ではある。既存のビジネス・パラダイムはすでに壊れているが、新しいパラダイムは確立してない時期なのだ、ともいえる。

しかし新しいパラダイムがどういうエコシステムになるのか、予定調和的な楽観論は許されないと思う。小林氏も「たぶん誰も儲からない宣言」をしなければならないかもしれないとブログ出版ビジネス化の困難さを強調している。

80年代に始まったマイクロ・コンピュータ革命は「分散、分権」の時代だった。それまで大企業、大学、国家などの大組織がIBMの大型汎用機によって独占していたコンピューティング・パワーが広く個人や家庭に分散、浸透していった。

ところが2000年以降、流れが逆転する。インターネットの高速化とGoogleによる組織化でコンピューティング・パワーは「クラウド」へ集中していく。個人のもつコンピュータはインターネットに接続できてブラウザが作動しさえすればよい。ネットブックというのは、いわば新たな「ダム端末」だ。

ニック・カーは「クラウド化する世界」でコンピューティングは電力、ガス、水道のような汎用的公共サービス(コモディティー化)すると論じた。

私の考は、GoogleやAmazonなどのクラウド・サービスの提供者は電力会社よりも鉄道や航空会社のような公共運輸機関のほうが性格が似ているように思う。

しかし肝心なことは、こうした世界のインフラ・サービスはすでに勝負が決まっている、という点だ。Googeの運用するサーバは世界で300万台といわれる。Googleに対して激しく巻き返しを図っているMicrosoftが今年シカゴに建設したデータセンターはサーバ数55万台規模だ。55万台というのは2007年の日本のサーバ出荷台数に等しい。Google、MicrosoftにAmazonを加えた先行グループにこれから追いつくことは予見しうる将来、誰にとっても困難だろう。

つまりウェブ・ビジネに関してはGoogleなどのプラットフォーム提供者が巨大な利益を独占する。また一般ユーザーも多様なサービスを無料で利用できる。しかし、プラットフォームを利用してビジネスしようとする起業家は「万人の万人に対する戦い」を強いられ、ほとんどは消耗して脱落していく、ということになるおそれが強い。

旧来のメディアが一念発起してウェブ化に立ち上がっても、多くはそのまま「玉砕」ということになりかねない。

もうひとつ、クラウド・コンピューティングの提供者がアメリカ企業である以上、クラウドの利用はコンピューティング・パワーの「輸入」になる。つまりクラウドの利用が爆発すれば日本のIT産業にとっても危機的な状況が予想される。

「夜明け前がいちばん暗い」とはよく言われることだが…はたしてどうだろうか?

と、いろいろなことを考えさせられる本だった。メディアに関係のある向きには必読の1冊なのは間違いない。

岩谷さんから献本いただいた。ありがとうございました。

IT系をメインとして著訳書を多数出している岩谷宏とロッキングオン創刊当時のカリスマ・ロック評論家の岩谷宏の両方を知っていながら、同一人物だということをまだ知らない人がときどきいる。まちがいなくそういうことなのでよろしくw

ロッキングオン以来、幾十年、現在はまたTechCrunch日本版で訳者としてごいっしょさせていただいている。論理的な英語についてはまちがいなく日本有数の翻訳者だ。

著者は「四色問題」を一般向きに解説した名著で知られる数学者。この本は数学者としてのルイス・キャロルに焦点を当てた評伝で、数学からなぞなぞ、言葉遊びまで縦横無尽に出てくる。さらに19世紀の英国の大学の慣習や一般の風俗なども加わり、難度でいえばA+++というところ。岩谷さんでなければとてもこう楽しい本に訳すことはできなかっただろう。

ルイス・キャロルの翻訳はいろいろ出ているが、大昔の岩波文庫版はクラシックとしての価値があるとして、それ以外はどうもいまいちしっくりしない。ここはぜひ岩谷版のアリスを読んでみたいもの。

日経BP、竹内靖朗さんより献本。実はこの「もっとも美しい対称性 」に加えて「多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者 」というドナルド・コクセターの評伝もいただいて、平行して読んでいる。といっても、もう大分前に読み始めたのだが、まだあちこちいったり来たりして読み返し中だ。

数学ファンともいえない数学野次馬の身で中身の評価などできるわけもないが、両方ともとにかく素人が読んで面白いノンフィクションだ。今回はまず「もっとも美しい対称性」の感想から。

この本はごくおおざっぱに要約すると、素人向けに極限までやさしくかみくだいた「群論とその応用」の紹介といっていいだろう。

群論というのは、素人のみならず理系でも鬼門として避けて通る人も多いとっつきにくい分野だ。私もこの本を読むまでは、ガロアが決闘で殺される前夜に何か偉大な発見をして、それはなんでも5次方程式の解法と関係があったらしい、という豆知識以外に群論について知るところはゼロだった。

しかし、どうやら、群論の本質というのは5次方程式がべき乗根を使って解けるか解けないかなどという問題を超えて巨大なものらしい。

ある種の図形は回転しても形が変らない。正方形は90度ずつ回転しても形が変らないし、正三角形は120度ずつ回転しても形が変らない。また正三角形や正方形には裏返しても形が変らないような対称軸がある。では「形が変らない」とはどういうことか? 辺の位置、長さ、辺と辺のなす角度が変らないということだ。

一連の対象に対してある操作を行ったとき、対象のなんらかの同一性が保存される場合に、そういういった操作の性質を抽象化して研究するのが群論というものらしい。

このような抽象化によって、3次方程式の根の間の関係が実は正三角形を回転や裏返しによって同一の形に変換する操作とまったく同じだということが証明できた。それまで別個に発達してきた数学のさまざまな分野と手法が実は一つのものだということが分かり、格段に強力で生産性の高い研究手段となった。

…ということでいいのだろうか? たぶんそういうことらしい。数式を(ほとんど)使わず、数学の奥の院の観光ができる貴重なガイドブックだ。

日経BP竹内靖朗さんから献本。

本書の核心をなすメッセージは―

  • マーケティングはただの広告ではない
  • PRとはマスメディアだけを対象とするものではない
  • 人々は操作された情報ではなく、信頼性を求めている
  • 人々は参加したいのであり、プロパガンダは求めていない
  • マスに向けたマーケティングから、膨大な数のニッチに向けた戦略へと切り替えなければならない
  • ネットでは、マーケティングとPRの間にはっきりとした境界はない

これは、「口コミの技術 広告に頼らない共感型マーケティング」(いしたにまさき・コグレマサト/日経BP)でも力説されていた。ある意味、本書は「口コミの技術」アメリカ版の続編・拡大版だ。

著者のDavid Meerman Scottはナイトリッダーニュースの電子情報部門の幹部を始め、20年以上もPRに携わってきたベテランだ。YouTubeの本書のプロモーション用ビデオクリップをみると、フットボール選手のような巨漢で、エネルギッシュかつポジティブなオーラが伝わってくる。ちなみに、Meermanというミドルネームを使うのは他のDavid Scottと区別するためのSEOだそうだ。

Scottは上のビデオクリップで、自分の講演では「エデュケーション、エンタテインメント、モチベーション」を提供することを心がけていると語っているが、これは口コミ・マーケティング全般にも言えるだろう。「役に立って、おもしろく、行動へのきっかけになる」コミュニケーションといったらよいだろうか。

Scottの主張する「新しいPRの法則」は一言でいえば「人々に直接話しかけなければならない」だ。本書の刊行当時(2006年)、アメリカ最大のPR代理店EdelmanのSteve Siebelをはじめ旧来のメディアやPR代理店関係者は大いに反発した。

しかしSiebelがブログ記事で主張しているのは煮詰めれば「プロのジャーナリスト向けのリリースも必要だ」と言っているにすぎない。それも必要だろうだが、だからといって「人々に直接語りかける」ことをしなくていいことにはならない。日頃のSiebelに似ず、いささかみえすいた我田引水の議論だ。EdelmanがウォルマートのPRのために中年夫婦をでっちあげてやらせブログを作ったのがバレて大恥をかいたのがこの頃だった。足下も見ろ、という教訓になったかもしれない。

本書の内容はたいへん実践的だ。「人々に直接語りかける」とはどういうことか? 「とにかくたくさんリリースを書くことだ!」として、以下のように勧めている。

  • 面白い情報がある→リリースを書こう!
  • CEOがカンファレンスでしゃべった→リリースを書こう!
  • 受賞した→リリースを書こう!
  • 製品に機能を追加した→リリースを書こう!
  • 新しい顧客を獲得した→リリースを書こう!
  • ホワイトペーパーを出した→リリースを書こう!
  • 今朝気持ちよく起き…れなかったとしても→リリースを書こう!

しかしもちろん、ただ大量に書けばよいというものではない。それではスパムと同じだ。本書で提示される「新しいPR」コンセプトの重要な要素は「ソートリーダーシップ(thought leadership)という考えだ。

thought leader「思想的リーダー」訳語もあるが、「思想」というのはいささか抽象的すぎる。「新しい考えを人々に普及させる影響力を持った人々」というほどの意味だ。この考え自体は新しいものではないが、これをインターネットを利用した口コミ・マーケティングと結びつけたところが重要だ。

Scottは企業ブロガー自身がこの「新しい考え方のリーダー」になることで興味と信頼を創りあげるべきだと主張する。

ソートリーダーシップのコンテンツは対象となる人々が抱える問題を解決するものであり、自社や自社の製品について言及すべきではない

たとえばケータリング業者のサイトでは、ケータリングの料金表ばかりでなく、「結婚式のパーティーを準備する上で知っておかねばならないこと」などの役立ち情報を提供するのが効果的だ。そうした情報を利用した読者は、必要が生じた場合にはその業者を利用する傾向がある。つまりそうしたささやかな情報提供でも「ソートリーダー」としての信頼を獲得するのに役立つわけだ。

ところが、未だに大企業のサイトは新聞広告やテレビCMをhtml化しただけで、何の対話性もなく、読者に信頼されるリーダーシップの片鱗もない場合がほとんどだ。ウェブ・ページのイメージ動画を見て車の購入を決めるユーザーなどいるわけがない。まったく金のムダだ。

だが、今までのように、効果もろくに測定できないまま、代理店の言いなりに湯水のように広告費を使える時代は完全に終った。

しかしネットを利用したPRは、従来の広告やPRとは全く異質だ。その異質さをデジタル・ネーティブでない人々に伝えるのは思いの他難しい。ネットやブログについて自分で十分知識のある層も、上司・同僚に説明するために、大いに本書が利用できるだろう。

出版社の経営者、営業担当者向けの純然たる業界専門書だが、「インターネットの利用」を強く訴えているところが、おもしろかった。

本書では2007年版のインターネット白書を引用して、「買物のためにインターネットで情報収集した商品分野」と「実際にインターネット経由で購入した商品分野」の両方で書籍・雑誌が1位になっていることをそれぞれ1ページのグラフで説明している。

またこれに関連して、「オンライン書店で売れている本の多くはネットで露出された出版物であるという事実」を強調し、「これからの出版社は販売ツールとしてネットを活用することが絶対に必要」と呼びかけている。

また著者は返品率の高さを問題にして、取次にも返品ルールの厳格化を求めるなどシビアな提言を行っている。

巻末の「赤伝(返品伝票)」とか「ぼうず(スリップの上部の丸い部分」など業界用語をまとめた豆辞典もおもしろい。

昨年5月、オリンピックを控えてチベットでの抗議活動が激しさを増していた折り、私はチベットの近代史を考える―マキシム機関銃とロシア工作員というエントリをアップ、フランシス・ヤングハズバンドについて簡単に書いた。この伝説の探検家・軍人・外交官について、日本でいかに知られてないかは、「ヤングハズバンド チベット」でGoogle検索すると、依然として私のこのエントリがトップ近くに来ることでもわかる。

ところが、上の記事を書いた後で、なんと日本人によって書かれた500ページを超す大部のヤングハズバンド伝が出版されていた。白水社刊、金子民雄著「ヤングハズバンド伝 激動の中央アジアを駆け抜けた探検家 」だ。やっと今日この本に気づいたので謹んでご紹介する。

著者・金子氏は「ヘディン伝」(中公文庫)など中央アジア史を中心に多数の著訳書があるこの分野の権威だ。本書の執筆にあたっては実の娘デイム・エイリーン・ヤングハズバンドを始め、あたうかぎりの1次情報を博捜したという。脱稿後もさらに十数年店ざらしになっていたのをついに白水社が公刊したのだという。

さっそくグルの戦いの項を開いてみると、戦闘の陣形図が掲載されていた。チベット軍は石積みの防壁の北側に陣取り、英軍主力はその南側に詰め寄り、互いに数メートルの至距離で睨みあう態勢になっている。このときマキシム機関銃4門は東側の丘の斜面からチベット軍の側面を見通す位置に据えられていた。

昨年5月のエントリに「敵密集陣の側面を掃射する」という機関銃戦術の基本を解説するビデオをエンベッドしておいた(残念ながら現在は削除)。歴史上、機関銃が組織的な会戦に投入されたほぼ最初の例であるグルの戦いですでにその形が成立していたことになる。

本書についてはさらにじっくり読んでから、おってまた報告したい。

当方、ギャビン・ライアルの熱烈なファンだ。代表作「深夜プラスワン」はあまりに何回も読んだので、冒頭のパラグラフ、It was April in Paris, so the rain wasn't as cold as it had been a month before. Stil, it was too cold for me to walk through it just to see a fashon show. I wouldn't find a taxi until it had stopped raining, and when it stopped I wouldn't need one. ...etcと暗唱できるくらいだ。

しかし、元SAS将校が活躍するアクション・スパイものマキシム少佐がシリーズが終った後、第一次大戦前夜を舞台にした歴史スパイ小説のシリーズにはどうも手が出なかった。実は「深夜プラスワン」を代表作とする初期のハードボイルドものに比べて、マキシム少佐シリーズはいささか迫力不足だったため、がっかりするのがいやであえて無視していたところもある。

しかしたまたまこのシリーズの第2作「誇りからの決別」を古本屋の店先で立ち読みしたところ、圧倒的におもしろい。この正月休みに4作一気読みした。

時代は1913年から14年。重苦しい緊張が高まる第一大戦前夜のヨーロッパが舞台だ。実は英国秘密情報部の歴史は意外に浅く、1909年に誕生したばかりだった。主人公は名門の出身の若き砲兵大尉マシュー・ランクリン。兄の投機の失敗の巻き添えで破産寸前に追い詰められ、ギリシャ軍の傭兵に身を落としてトルコと戦っていたところを誕生したばかりの情報局にスカウトされる。ランクリンをスカウトした局長は風貌といい、ロールスロイスを暴走させる奇矯なキャラといい、実在の初代秘密情報部長官、サー・ジョージ・マンスフィールド・スミス=カミング(Sir George Mansfield Smith-Cumming)海軍中佐(後、大佐)がモデルだ。

ちなみに、英国秘密情報部長官が代々、「チーフ」と呼ばれ、グリーンのインクで"C"と署名する伝統はカミングが始めたもの。ル・カレのジョージ・スマイリーもチーフ代行に就任した際には伝統のグリーンのインクを使っていた。

ランクリン大尉はアイルランドで任務遂行中に知り合ったアイルランド独立運動のメンバー、オギルロイをスカウトしてコンビを組む。局長、ランクリン大尉、オギルロイ、ランクリンの恋人でアメリカの大富豪の娘で自身も父の銀行の経営に携わる才色兼備の女性コリーナ・シェリングがシリーズを通してのレギュラーメンバーだ。

プロットも快調だが、なんといっても読みどころは当時の国際情勢から風俗のディテールまで圧倒的な情報量だ。どこでどうやって調べたのと呆れる。またルイス機関銃、ドイツ軍の軽量山砲などの新兵器も登場する。第2作「誇りからの決別」で重要な役割を果たす実用化間もない飛行機の描写も圧巻。

第4作、「誇りは永遠に」の献辞は、妻、キャサリン・ホワイトホーンに捧げられている。結局これがライアルの遺作となってしまった。もしかすると本人にもその予感があったのかもしれない。

ホワイトホーンは辛口のユーモアで知られる英国では著名なコラムニストだ。「本番台本」の女性弁護士J.B.ペンローズから「深夜プラスワン」のジネット・マリス伯爵夫人、そしてランクリン大尉シリーズのコリーナ・シェリングまで、ライアルの作品を彩る颯爽たる女性たちのモデルはキャサリン・ホワイトホーンに違いない。1956年にPicture Post誌の写真特集「ロンドンの孤独」のモデルをつとめてその知的な美貌がセンセーションを巻き起こしたという。

ここに最近の写真もある。1928年生まれだから、今年は81歳になるはずだが、依然、若々しい。

時代背景から考えてシリーズのクライマックスは第一大戦における秘密情報の活躍だったはず。ライアルの健康があと10年もてばと惜しまれる。70歳は早すぎる死だった。

日経BP出版局竹内さんからすすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠 を献本いただいた。

インターネットの普及は、危険な「カウンターナレッジ」(=ニセ情報)の蔓延をもたらした。カウンターナレッジを信じ、数百万の国民の命を危険にさらす大統領。カウンターナレッジで数億ドルを荒稼ぎするインチキ起業家。

―という現状に警鐘を鳴らす本だ。著者は英国の宗教社会学者・ジャーナリスト。

「カウンターナレッジ」というのは簡単にいえば「デマ」だ。ただし「9.11はアメリカ政府の自作自演」とか「サプリでエイズが直る」とかいうたぐいの科学理論やら調査報道やらのもっともらしい仮面を被った悪質なデマを指す。

正直、一読して鬱になる。なぜ世の中にはこんなバカが多いのか? こういう本を読む人間はこんなバカなデマを信じるわけはなし、こんなバカなデマを信じるバカは絶対にこの本を読まない。

だが、そうも言っていられない。インターネットは新聞、テレビといった既存のマスコミの力を急激に削ぎつつある。自動車の登場で馬車が退場したように、テクノロジーの発達はいかんともしがたい。しかし、メディアの革命には、他のあらゆる革命と同様、光と同じくらい闇の部分がある。ラジオと映画を駆使してヒトラーとナチ党はデマゴギーを全ドイツ人の頭に刷り込みユダヤ人、スラブ人、ロマ人、ドイツ人障害者の大虐殺に成功した。

インターネット革命によって新聞を始めとするマスコミが衰退するのはある意味必然だ。しかし、その後に「群衆の英知」によって予定調和の世界が来るのか?

この本はそういう期待が楽観的すぎるかもしれないという深刻な警告になっている。

この本は躁という精神異常について、実例を豊富に交えてわかりやすく解説している。著者は都立松沢病院になどに長く勤務した経験があるベテラン精神科医。

鬱病はよく知られているが、躁についての一般向けの本は少ない。もともと躁というのは鬱より少ない上に自分が異常だという認識がないのが普通で、治療が難しく、医者も敬遠するし、本も売れないからのようだ。

wikipediaの躁病によると、躁状態では気分の異常な高揚感をベースとしつつ以下のような症状が見られるという。

  • 観念奔逸(考えが次から次へと浮かび、話題の方向性が変わる)
  • 妄想(誇大妄想、血統妄想、発明妄想、宗教妄想など)
  • 行為心迫(何か行動しなければと急いている状態)→行為未完成
  • 作業心迫(何か作業しなければと急いている状態)→作業未完成
  • 食欲・性欲の亢進

本書ではこれらの症状がそれぞれ実例で説明されている。また面接して診断する際の点数評価基準も紹介されている。たとえば異常な多弁の場合、「遮ることが難しい」と4点、「遮ることが不可能」だと8点などと評価される。素人でもかなりの程度正確に症状の深刻さが判断できそうだ。

同じ系統の病気とはいえ、活動が沈滞する鬱より、超活動的に暴走する躁のほうが周囲への影響は深刻だ。Wikipediaにも「躁病の症状は人間関係を著しく損ねる可能性があるため、その社会的予後はうつ病よりも悪い」と説明があったが、たしかにそうだろう。異常に怒りっぽくなる「易怒性」などたまったものではない。

芸能人や事件の関係者について、テレビや週刊誌、ウェブサイトなどで異常な行動が逐一報道される。情報の正確性に問題はあるものの、この本を片手にリモート診断を試みてもいいかもしれない。かなりの例について「躁な問題」があるという結果になりそうだ。

この躁状態は覚醒剤の効果にかなり似ている。芸能人やスポーツ選手は職業的に軽度の躁状態になることを要求される。それが苦手な人間が覚醒剤に頼って躁状態を人工的に作り出そうとして転落の道をまっしぐら、ということになるのか。


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