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ソーシャルウェブ入門

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【以下再録】英語のcome、goの使い方はときとして日本語の「来る」、「行く」と逆になることがある。

一般的に「来る」は「主語が着目されたナワバリに近づく」ことをいい、「行く」は「主語が着目されたナワバリから出る」ことをいうと考えてよさそうだ。この点では、英語のgo, comeも同じ。

ただし英語の場合は「聞き手」がいる場合は「「聞き手基準」になることがある。(ソース:大英和のcomeの説明など)

-Dinner is ready.(ご飯できたわよ)
-I'm coming! (今行くよ!)

というのは「夕食」が「聞き手のナワバリにある」のでcomeが用いられる例。しかし日本語でも「来る」が「私」を主語に取れる場合もある。

-私は曲がり角に来て迷ってしまった。
-おもえば、私もよくここまで来たものだ。

これらの場合は、話者が「曲がり角」や「ここ」に着目して「そこに近づく」ことを表している。

a) 今晩映画見に行くんだけど、いっしょに行く?
b) 今晩映画見に行くんだけど、いっしょに来る?

a)が普通だが、b)の表現も可能だ。b)の場合、話者の意識はすでに映画館に移っていて、そこに相手が近づくことを表現していると考えられそうだ。

セックスのクライマックスがなぜcomeなのか、諸説あるが、comeが用いられるということは、「行った先(エクスタシー)」を基準にして、そこへ「到達する」イメージがあることは確かだろう。

日本語の場合、イクと表現するのは「自分」を基準にして「その外へ出る=我を忘れる」ことがイメージされているのでだろう。

けっきょくイク、クル、go、comeの使い分けは「移動の起点/終点として着目するナワバリ」をどういう基準でとらえるかによると言えそうだ。この基準自身は言語に内在する論理というより、言語外の文化的な慣習によるところが多いように思える。
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Facebookがしばらくダウンしていた。表示は回復したが、クエリなどまだ多くの機能が不安定

タイミングからすると部内からサボタージュの可能性を考えてしまう。アメリカのマスコミはトランプの巻き返しを全力でスルーしているが、Facebookのダウンは逆にこれがかなり功を奏しているのかもしれない。
[Facebookがダウン中]の続きを読む
緑=名詞、赤い=形容詞だからだが「い」をつけて形容詞化できる色名は少ない。「赤い、白い、黒い、青い」だけだと思う。これが日本語の古層の色覚だったようだ。あと「黄色い、茶色い」は「色+い」をつけて形容詞にできる(なぜこの2色は「い」を付加できるのか調査中)。 それ以外の色名は「い」をつけた形容詞にできない。「ミドリい」とも「ミドリ色い」とも表現できない。「な」をつけて「ミドリな」、「ミドリ色な」とも言えるが人によっては嫌うだろうと思う。 ここにも色による外界の認識が文化によって違うことが指摘してあって面白い。もっとも後半はだいぶ個人の主張になっているがそこは無視。 https://www.amazon.co.jp/日本語と外国語-岩波新書-鈴木-孝夫/dp/4004301017 色名の話はこのブログにも以前書いたように思う。後で検索しておこう。
なんとか。
菜根譚の引用を確認しようとしてぐぐったら自分のブログの記事だった。半年記事を書かないで放っておくとトップに広告が表示されるらしい。まずTwitter、それからFacebookとGoogle+に移って、気がついてみるとブログは3年も放置していた。とりあえず広告を消すために1本アップ。ブログもやはり何か使い道があるかもしれない。考えてみよう。
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上の写真は2007年に拙著ソーシャル・ウェブ入門が出版された日に技術評論社に行ったときのもの。はやいものでもう満三年もっている。今年はいやなときに雨風が強くて、どうも桜をろくに見ないで終ってしまいそうだ。于武陵の五言絶句、「花発多風雨」を「花に嵐のたとえもあるぞ」と訳したのは井伏鱒二だが、この翻訳は天才という他ない。

しかしこうした絶妙の訳ができたのはわれわれが2000年(かそれ以上)にわたって中国文化の影響を深く受けてきからで、文化背景がまったく異なればなかなかこうはいかない。同じ桜といっても、われわれの桜とアメリカ人のcherryとでは、たとえ植物分類学的に同一であっても、まったく異なる文化的文脈をもっている。一般のアメリカ人がcherryから「散り際の潔さ」やなどを感じることはありえない。これが抽象的概念になると、実体として目に見える対象がないだけに、文脈の差異はいっそうやっかいなものになる。

英語のソサエティーを最初に「社会」と訳したのは福沢諭吉だとされる(異説もある)。以後ソーシャルは社会的、ソシオロジーは社会学、ソーシャリズムは社会主義、のように訳されてきた。しかし「社会ネットワーク」というのは社会学の一分野の理論で、TwitterやFacebookのようなインターネット・サービスはソーシャル・ネットワーク、ソーシャル・メディアなど音訳されるのが普通だ。

実はソーシャルという(英語を始めとする西欧語の)単語には非常に広い意味があり、「社会学」の対象になるような「社会」という意味はその一部に過ぎない。

socialの語源は「後に従う」という意味のラテン語、sequi、さらに印欧祖語のsekw-語根に遡る(研究社・大英和)。ちなみに、socialとsequece(連続、並び順、)、consequence(結果、結論)などは従兄弟にあたる単語だ。sequi フォローする→フォローする相手→仲間、同士→仲間の集まり→社会、のように語義が発展してきた。societyが日本語で言う「社会」の意味を持つようになったのは17世紀頃で、比較的新しい。

つまりソーシャルという言葉を「メンバーが互いにフォローしあうネットワーク」に対して使うことは、英語(を始めとする印欧語)世界の文脈では言葉の根源的な意味に立ち戻っていることになる。「メンバーがフォローしあうネットワーク」を「社会ネットワーク」と訳すことは(仮に「社会ネットワーク理論」などの先住民がいなかったとしても)、日本語の狭い「社会」の意味によってsocialの持つ語義に狭い枠をはめることになり、適切な訳とはいえないことになる。

これに関連して、日経コンピュータの谷島宣之編集長が「「言葉のインフレ」は経済のそれよりはるかに恐ろしい 専門家同士でも分かり合えないITの英略語」という記事でvirtualという単語に「仮想」という訳語を宛てたことをIBMの当事者が反省している例を挙げていた。

谷島さんは頭文字語がお嫌いで、その理由は「分かりにくいからだ。経営者がITを敬遠する理由の1つにこの英略語がある」と書いている。頭文字語の乱用がコミュニケーションをさまたげるのは当然で、まったく同感だが、これもよく批判されるカタカナ語については若干保留したい気がする。

というのは原語をそれらしい日本語に訳すと「本当は見当違いなのにわかった気にさせてしまう」という逆の弊害も出てくるからだ。virtualとは、virtue「美徳」などと同根で「優れた、実効ある」という意味だった。つまりバーチャルメモリとは「実質的にメモリとして機能する機能」という意味だったわけだ。たしかに訳しにくい。しかしこうした日本語にしにくい単語は「仮想」などと無理やり間違った方向に訳さずカタカナで「バーチャル」のまましておいた方が害は少なかったと思う。こういう例は意外に多いように思う。

前回の投稿が2009年10月7日で、Colt Plusの新車購入レポートだったが、そのColtももう6千キロ近い。スーパーに買い物に行くちょい乗りがほとんどなのにけっこう距離が出ている。毎月1000キロくらい走っていることになる。最初の3月くらいはマメに手洗いしていたが、1月になって冷え込む日が続くとさすがにおっくうになり、最近は自動洗車オンリーだ。塗装にはあまりよくないということだが、鳥のフンをつけたままにしておくよりはいいだろうと思う。

と、それはともかく、こんなに長くブログにご無沙汰した理由はもちろんTwitterだ。正確にはシェル・イスラエルのTwittervilleの翻訳を始めたせいだ。この『ビジネス・ツイッター』(TechCrunchの同僚前田博明さんとの共訳・日経BP)3月4日に無事刊行された。その後、最高Amazonで最高38位、現在も100位前後と順調な売れ行きをみせているのでひと安心。

ふと気付いてみると半年もブログをさぼっていたことに気づいた。もちろんTwitter本の翻訳をしているからといってブログが書けない理由はないのだが、頭がTwitterでいっぱいになっていて、時間に少しでも余裕があると(あるいは余裕がなくても)ついTwitterを覗いてしまうという状態が続いていた。

コバヘン(@kobahen)さんも日経ビジネス主催のセミナーでおっしゃっていたが、本来ブログとTwitterは相互補完的なものだ(ご来場のみなさん、ありがとうございました。)。というわけで、少しずつブログもリハビリしていこうかと思う。

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この6月に17年乗った三菱ランサーがご臨終。コルト・プラスに買い替えを迫られて約3月。気づいてみると3000Km近く乗っている。結論からいえばこれはよくできた車だ。

何よりよいのはゆっくり流しているかぎり1.5リッターの1.5ボックスとは思えないほど静かなことだ。60km/hは1200回転前後で、このあたりだとエンジン音はほとんど聞こえない。80km/hくらいでも普通の声で会話できる。高速に入るとさすがにロードノイズが加わってかなりの音になるが、疲れるほどではない。

最近トヨタ・ベルタ(ヴィッツのセダン版)を運転する機会があったが、こちらは1.3リッターだが、価格帯ではかなり近い。しかし、その内装のチープさと、何より、うるささには辟易した。もっとも低速からうるさいのでアクセルを深く踏むのに抵抗がなく、感覚的にはキビキビ走れる。コルト・プラスは2500回転あたりから相当勇ましい音になり、思わずアクセルを戻してしまう。もちろん安全運転と燃費の見地からはそのほうがよい。

リモコンキーで作動する電動テールゲート、ライトのオートコントロール、車速感応式間歇ワイパーなどはカタログで見ると「別になくても困らないし」という印象だが、実際に使ってみると非常に便利だ。テールゲートを開くと母は先端に手が届かないので、リモンコン電動テールゲートがなければ大いに困るところだった。ライトの自動点灯もトンネルが連続する山道では激しく便利。

最大の欠点はAピラーで隠される範囲が広いことだ。もっともこれはコルト/コルト・プラスに限らず、最近のスラントノーズの1.5ボックス全般の問題だ。ご覧のようにエンジンフードからそのままの角度で屋根までつなげるためにAピラーは長くなり、強く寝てしまう。また強度を得るためにかなりの太さになる。

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最悪なのが上りの右ヘアピンで、Aピラーでまったくブラインドになってしまう。やむなく上体を左前方に大きく乗り出して先を確認することになる。リアウィンドウも小さめで、その他全体に見切りはよくない。後付けでリアビューカメラがつけられないか調べてみたが、現実的でないことが判明した。

あと乗り始めた当初は電動パワステのアシストがやや不自然なのが気になった。センタリングが弱く、低速で直角に曲がった後などは手で積極的に戻してやる必要がある。もっともこれはしばらく乗っているうちに気にならなくなった。直進性はよい。ステアリングの反応も必要十分。ただしランサーから乗り換えると着座位置が10cm以上高いせいもあってロールを大きく感じる。アンダーもやや強いようだ。流れの速い首都高で他車と並走しながらカーブに入るときなどは、古い非力なランサーの方が心理的に楽だった。

スタイリングは好みの分かれるところだろう。というか、はっきり言ってリアの処理があまりスマートとはいえず、全体にダンゴ虫のようなやや間抜けな印象がある。

後席を倒すと広く完全にフラットなカーゴ・スペースが現れる。夏には日よけ用の6尺のヨシズを6本が楽に載り、さらに助手席のシートバックを後ろに倒すと8尺のヨシズが積めた。フラット荷室は老犬を獣医に連れていくにもよい。荷室後端の床を30cmほど下げることもできる。天地のある荷を載せるためだというが、スーパーの買い出しなど普段のお使いには下げた状態の方が荷が踊らず便利だ。実用性についてはまったく文句ない。

三菱車は断続的に20数年乗っているが、運も良かったのだろうが、面倒なトラブルには一度も遭っていない。今後もそうあってもらいたいものだ。

最近、高級コンデジ/初級デジイチのあたりのカメラが気になっている。リコーGR3パナソニックDMC-GF1CキヤノンEOS Kiss X3の3機種だ。GR3はコンパクトのトップエンド、GF1Cはマイクロフォーサーズ、X3はデジイチのエントリーモデルのそれぞれ代表と思われる。

私的なスナップだけなら軽く、明るく、高画質と三拍子そろったGR3が魅力的だ。しかし用途として普通のスナップの他にブログ素材に使うイベントの記録があるので迷う。カンファレンスでステージを撮る場合は最前列からでもワイドレンズでは苦しい。35mm換算で200mmは欲しい。するとやはりデジイチになる。

大型コンデジなみというマイクロフォーサーズのGF1Cのコンパクトさも魅力的だが、望遠ズームをつければやはりそれなりのサイズになる。無論ポケットに入れて持ち歩ける大きさではない。Kiss X3はデジイチとしては540g(ボディー)と軽量でパーティーなどに持ち込むにもそれほど苦にならそうだ。キットのレンズはあまり明るくないが、レンズ内蔵手ぶれ補正でかなり暗い場所にも対応できるようだ。交換レンズを漁り始めるとキリがないが、キヤノンの場合、EF50mm F1.8が1.8万と驚異的に安い。

X3は動画機能もあるが、外部マイクが使えず、AFも基本的にマニュアルらしいのでやはりオマケと考えるべきだろう。ただしインタビューの記録には便利かもしれない。とにかくないよりよい。

X3と同クラスには各社ともエントリー・モデルの主力がひしめいているので、それぞれ比較し始めるとキリがない。しかしざっと情報を集めたところではやはりキヤノンは総合的に破たんなく製品をまとめているような印象だ。

もっとも今使っているFinepix F100fdもよくできたコンデジで、まったくカメラまかせでポイント&シュートしてそこそこの写真が撮れる。デジイチとなれば能力を生かすためにはユーザー側でも少しは勉強しなければならない。また携帯性の問題もある。いくら良いカメラでも手元になければ何も撮れない。

GR3がせめて2倍ズームだったらよいのだが。もちろん、あれだけの高画質をポケットに入るコンパクトなボディに押し込むことに成功したのは固定焦点という大胆な割り切りがあったからだろう。しかしいつかはGRズームも可能になるのではないか?

一方でWin 7の登場で中級ノートが使いものになるようになるはずなので、その予算も用意する必要がある。こちらは仕事の効率に直結する道具だから、おろそかにできない。

やはりカメラは後回しか?

Part1はこちら。Part2はこちら

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上はGoogle Mapsのグレイシャー・ポイントの航空写真。三日月形の駐車場にバスが止まっているのが見える。茶色の屋根は土産物などを売っているレストハウス。写真の上(北)端が展望台。

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展望台の方へ歩いていくと地リスが道に出てきた。みな笑って足を止めて待っている。何やらもぐもぐしていたが、やがて右側の藪に消えた。

おなじみハーフドーム。これはただただ感心して眺めるしかない。

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左側に空中に突き出た岩がある。昔はこの上で記念写真が撮れたというが、今はもちろん立派な柵があってそういうことはできない。

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これはたぶんメキシコからの観光客。

マスチフかそのたぐいの大きな犬がご主人が奥さんの写真を撮るのを待っている。

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マサチューセッツの田舎から来たという初老のご夫妻の奥さんが「あなた1人なの? 写真撮ってあげましょうか?」と写真を撮ってくれた。

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帰り道のワオナ・トンネル。これを抜けたところが有名なトンネル・ビューだ。ここもすばらしい。

かなり広い無料駐車場があるから、ゆっくり写真が撮れる。というか日本の景勝地の車の停めにくさが異常。

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写真を撮ってくれたおばさま。若いのをつかまえて「どこから来たの? 大学生?」と聞いている。どうやら高校の先生らしい。

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正面から日が射して、朝とはまた違った表情のエル・カピタン。これもただ息をのむだけ。

バレー・フロアに戻ってあらためて絶壁を見る。これであと一日あれば…しかし、今朝こんなに天気がよかったことはラッキーだったと思いなおす。はるか前から宿を予約してやってきたら雨が続くということだってあるわけだ。

というわけでヨセミテに行ってみたいが時間がないという向きはグレイシャー・ポイント・バス・ツアーに参加することを強くおすすめする。グレイシャー・ポイントとトンネル・ビューという2大ポイントを4時間でまわって、いろいろ解説が聞ける。途中で安全に居眠りもできるし、1人旅でも写真を撮ってもらえる。

グレーシャー・ポイントまでバスで上って、ハイキングでビレッジまで降りてくるのもよさそうだ。片道切符も売っている。朝8:30のバスでヨセミテ・ロッジを出れば、午後遅く4時ごろには帰り着けるそうだ。もちろん食糧、飲み物、用意は必要だ。また1人ではやはり何かと危険。2人以上の仲間と組んで行ったほうがいいだろう。晴れていればいいが、吹き振りあったら秋の高尾さんだって大変だ。まして標高2000m近いわけだから、きちんとした登山用レイン・ウェアは必須だ。

実際、車を走らせているうちに天気は下り坂になった。夕方サンフラシスコ空港で車をチェックアウトしてBARTに乗ったが、パウエル駅で上にを出たら小雨が降り始めていた。

結局32時間で700Kmほど走ったことになるが、でかい車を借りたおかげでまったく疲れなかった。


View Merced to Yosemite Logde in a larger map

しばらくは真っ暗な街道を走る。天気は? 金星が明けの明星となって強烈に光っているのが心強い。ときおり小さな町が現れる。アメリカ全体ではどうかしらないが、少なくともカリフォルニアでは町中の速度制限はみなよく守る。街道が田舎町にかかると40mph、30mph、25mphと速度制限が厳しくなっていく。学校や教会、役場の近所では20mphぐらいになることもある。すると夜の夜中、他に1台も車が走っていなくてもちゃんと速度を落とす。その代り、55mph制限(フリーウェイ以外ではこれが最高速度)に戻ると、道が空いていればみな75mphくらい出す。幹線フリーウェイの中央より車線の平均速度は80mph(128kmh)ぐらいだ。空いた東関東道の追い越し車線が115kmhくらいだから、それより心持ち速い。

マリポサではまだ暗い。ここから南下してワオナ・ロード側から峡谷に入る道もある。こちらは途中でトンネルビューという景勝ポイントを通る。しかし日曜だ。交通がどのくらい混雑するかわからない。早くビレッジに着きたかったのでエル・ポータルに直行する北側の道を取る。このあたりから本式のワインディング・ロードの上りになるが、依然車影なし。40mphから60mphで快調に進む。

エル・ポータルで道がマーセド川の渓流沿いに出る。午前6:30だ。Holiday Innのおばさんの言ったとおり1時間半で近所まで来てしまった。車のヘッドライトが明るく前方を照らしているのでもわかるが、実際は写真よりもっと暗かった。

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しばらくしてヨセミテ公園のゲートに着いた。小屋は無人で「入園料$20は公園を出るときに払え」と表示してある。ここまでくればひと安心。停車してあたりを眺めてはまた走る。ときおり車が通るようになった。午前7時にエル・カピタンに朝日が射しているのが見えてきた。

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さすがに息を飲む。これを見ただけでもサンフランシスコから走ってきた価値があったな、と口をぽかんと開けてしばし眺める。とにかくスケールが桁はずれだ。

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エル・カピタンを後にして渓谷の底の林の中の快適な道をのんびり走る。エル・カテドラルへの葉キング・コースの入口でコヨーテとすれ違った。コヨーテの見た目は痩せたミニ・オオカミだ。車を停めると一瞬こちらを見たが、カメラを出そうとしている間に用ありげにすたすたと林の奥に消えた。ちょうどこんな感じだった。

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ヨセミテ・ロッジの駐車場に入るとさすがに観光地の雰囲気になる。ロッジの近くは9割がたスペースが埋まっている。しかしロッジの玄関から歩いて1分もかからないところに駐車できた。夜通し走ってきたらしい家族連れがよろよろとSUVから降りてくる。パパが「ワオ、なんだこの混雑は! たいへんな数の車だな」とおどろいていた。日本の観光地の混雑に慣れた目には楽勝のガラ空きに見えるが、マーセドのような田舎町から来たら、こっちの方が大都会みたいに思えるかもしれない。

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ロッジのロビーの奥にツアーデスクがあった。スタッフらしいおっさんに尋ねると「今開けるとこだ」という。無事に8:30のグレイシャー・ポイント・ツアーの切符を買い、裏のフードコートで朝食にする。

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セルフサービスのカフェテリアで、大型の屋台みたいなオープン・キッチンが数箇所に設置されている。「ロッジの朝定食・ライト」というのを注文する。ウィート・ブレッドのトーストに卵料理、ソーセージかベーコン。ベーコンは例によってガリガリに焼かれている。アメリカ人はどうしてあんな黒コゲをクリスピーとかいってありがたがるのか分からない。仕方なくソーセージにする。付け合わせがあったが遠慮する。卵は目玉焼きのミディアムにする。コーヒーはついてくる。皿を持って行ってキャッシャーで払う。うまくもないがまずくもない。近頃の学食ならもう少しましだろう。しかし、まずくなかったらアメリカでは上出来だ。

ロッジの玄関でぶらぶらしているとツアー・バスが来た。アランという運転手兼ガイドは「ヨセミテが好きで何度も来ているうちにこの職を見つけ、住み着いて12年になる」と自己紹介。

ワオナ・ロードを南下する。ワオナ・トンネルの手前で「トンネル・ビューには帰りに寄るから写真はそのときに撮れ」とアナウンス。

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トンネルを出てしばらく上ってからグレイシャー・ポイント・ロードに入る。バスが通れるくらいだから、日本の林道に比べれば広い。しかし補修工事区間が次々に現れる。この道を下ってきて谷側に寄ってバスとすれ違うのはあまり楽しくなさそうだ。タイヤの後が崖っぷちから10センチくらいの路肩にくっきり残っている。ハンドルを握っていたら景色を見る余裕はない。

ガイド兼運転手のアランはしきりに山火事について説明する。ヨセミテ最大の自然災害が山火事だ。夏の乾燥期に落雷で起きる。最近は森林局が「管理された山火事」を起こして人為的に森を焼き払っている。乾季に枯れ草や枯れ木が溜まってから雷で着火するとコントロール不能で延焼する。最近は、雨の後などに風向きなど各種の条件を考慮して当局が山焼きをしているのだそうだ。

1時間ちょいでグレイシャー・ポイント下の駐車場に着いた。

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Part3に続く

ヨセミテのパーク・レンジャーは「1日しかいられなかったらどうすればいい?」と聞かれると、「マーセド川の岸に座って泣くね」と答えるらしい。しかしこちらはサンフランシスコ国際空港に土曜日の午前10時に着いたら、月曜の早朝からTechCrunch50カンファレンスの取材を始めなければいけない。機材点検、日本との連絡など考えると、遅くも日曜日の午後6時にはサンフランシスコのホテルにチェックインしたい。とすると、すべて含めて32時間しかない。

今年は夏にほとんど休みを取らなかったので、どうしてもこの週末だけはオフにしたい、と思いGoogle Mapsをにらんであれこれ考えた末、とにかくカーナビ付きのレンタカーとマーセドの宿だけは予約しておいた(とにかくヨセミテとサンフランシスコの間でその夜部屋が取れたのはマーセドだけだった)。

Hertzのカウンターに行ってヨセミテに行くつもりだというと、いまキャンペーンやってるからあと40ドル出すだけでニッサン・インフィニティーにアップグレードできるわよ、とお姐さんに言葉たくみに勧められる。どうせめったにない機会なので勧めにのる。

ガレージに行って現物を見ると、でかい。マニュアルも戦争と平和全1巻かとおもうくらい分厚い。

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リモコンキーはビスケットのような楕円形で、ソケットにするりと差し込む。イグニッションはブレーキを踏みながら大きなボタンを長押しするようになっている。そこまで理解するのに15分くらいマニュアルを読んでしまった。全幅は1.93mある。(しかし後で調べたら国内で発売されているランクルは全幅なんと1.97mだった。よく東京の住宅地など走れるものだ)。

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Never LostというHertzご自慢のカーナビにマーセドのHoliday Innをセットして表に出る。日本のカーナビに慣れたユーザーだったら驚くはずだ。画面は最新の携帯電話より小さい。表示されるのも地図というより線画の略図だ。基本的にこのカーナビは視覚象ではなく音声言語で指示を出すようになっている。ヨハネ福音書に曰く、「初めにロゴスがあった。ロゴスは神に向き合ってあった。ロゴスは神であった。」 ロゴスよ、導きたまえ。アーメン。とにかくレフト・ターン・オン・ハイウェイ・エグジット、なんとかという呪文のとおりにハンドルを切っていればいつの間にかアライビング・デスティネーション・オン・ザ・レフト…になる。


View Merced to Yosemite Logde in a larger map

フリーウェイに入ると、なるほどこれは快適なミニ戦車だ。一昨年マツダ・アテンザを直進させるのに苦労したわだち掘れした荒れた路面もまったく苦にせず突進する。55マイルくらいからアクセルを踏むとほとんど一瞬で80マイルくらいまで加速する。乱暴に吹かすと巨大なタイヤがホイールスピンする。

サンマテオ橋を渡ってI580に入り、リバモアを過ぎたあたりで右手に発電風車が林のように並んでいるのが見えてくる。ローレンス・リバモア国立研究所が近くにあるから、そこの施設だろう。ちょうど半月形のダートの駐車スペース(?)があったので車を停めて写真を撮る。

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奇妙だったのは、その広場の一角に石を積んで花と小さな星条旗が飾ってあったことだ。日本でよく交通事故の跡に遺族や友達が置く手向けの花にそっくりだったが、いったい何だったのだろう?

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マーセドにはまだ日が高いうちに着いた。まったくの田舎町だ。ホリデイ・インにチェックインした後、名前だけは頼もしげなヨセミテ・アベニューを少し偵察してみる。しばらく果樹園の間を走ったあといきなり荒野に出た。いやはや―高地は文字どおり地平線のかなたに霞んでいる。

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メインストリートとやらに戻る。いちばん目立つ角に映画館があった。家族づれ、高校生が切符売り場の前で立ち話をしている。水玉のワンピースを来た黒人の婆さんが、ヘイ、ユー、ネバー・セイ・ネバー、あっはっは、と奇声を上げながらメインストリートを往復している。クレイジー・ポリー、とか呼ばれてよく知られている婆さんなんだろう。地元の人間は誰も振り向かない。

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映画館の向いのメキシカン・ダイナーがいちばん無難に見えたので入った。チキンのブリトを注文すると、大人の運動靴くらいある巨大なブリトがやってきた。まずくはないが、半分食べるのがやっとだ。まわりを見回すと皆、ドギーバッグを作ってもらって持ち帰っている。と、やはりウェイトレスが来て、持ち帰ったらどうだと勧める。やむなく持ち帰ることにする。

ホテルの近くまで戻るとミニ・マートが目についた。バドワイザーの看板が出ていたので車を停めた。店は暗くキムチの匂いがした。棚は半分くらい空だ。世話ずきそうな韓国系のおばさんが「何か探しているのか?」と尋ねる。ビールを2本買ってホテルに戻る。受付のおばさんにこの辺の果樹園の木はなんだと尋ねたが、知らなかった。ヨセミテは夜中に飛ばせば1時間半よ、という。それは少し飛ばしすぎだろう。

TechCrunchの記事を確認、メールを読んで返事を出し、Skypeで日本と話す。風呂から出てさてビールを飲もうと思ったが、またせん抜きを忘れたのに気づく。アメリカではビールはいまだにガラス瓶に入ってクラウンで栓がしてあるのを荷造りのときにどうも忘れてしまう。フロントで借りればいいようなものの、服を着るのが面倒で、ドアの取っ手で栓を抜く。これは非常用トリックとして覚えておくと便利だ。栓のヘリをドアの取っ手のヘリのような直角な角にしっかり押しつける。栓を手の平でたたくか、強く握り込むようにする。手をすりむくかないよう栓のまわりをタオルで包んでおいたほうがよい。

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明け方、午前4時半に起床。5少し過ぎに車に乗りこむ。狭い私道を走るとき、つい道の左側を走り始めてしまう。あわてて右側に寄る。「右折小回り、左折大回り」と右側通行の呪文を唱えて真っ暗な通りに出る。何十キロも見通せるのに前後に1台も車が見えない。前回シリコンバレーをあちこち走ったときは時差ボケに死ぬほど悩まされたので、今回は前日徹夜した上に飛行機でもなるべく眠らないようにした。それが効いたか、眠くならない。(Part2へ

わが家の最長老、ビアデッドコリーのキャサリン(16歳)が急に苦しみ出してあわてる。一時はどうなることか思ったが、どうやら命に別条なさそうなようすになったので、「東京ブックフェア」へ。

そんなわけで出遅れたために時間がなく、今年は平凡社のブースで下中さんと会って会場をひとまわりしただけに終わる。 2009_07120012

どのブースも不景気ムードでバッグを配っていないのでがっかり。こういうときこそ派手なバッグを配ればおおいに目立つのに気がきかない話だ。しかし一方で会場の一隅ではウィリアム・ブレイクの詩画集やウィリアム・モリスのケルムスコットプレスの完全復刻版が出品されていた。ブレイクは25万円也だが今日1冊売れたとか。写真を撮っておくのを忘れた。

近所の蕎麦屋で下中さんとSF談義。コードウェイナー・スミスことポール・マイロン・アンソニー・ラインバーガー博士を顕彰すべきこと、殷の青銅器とマヤの石像のデザインが空間恐怖症的で似ているのは両文明の人肉嗜好と関係があるはずなこと、などを論じる。

その後高円寺へ。東京には通算25年くらい住んでいて、ずいぶんあちこち歩き回る仕事をしていたこともあるのだが、なぜか高円寺には縁がなかった。降りたのはこれが初めて。北口から阿佐ヶ谷方面に向かうと車道にはみださんばかりに椅子とテーブルを並べた露天の焼鳥屋が並んでいるのにまず驚く。JR中央線のガード下(正確には高架下)が戦後の臭いを残す飲食店街(それに古本屋が混じる)になっている。

そのガード下商店街の外れに高円寺ワークショップという謎のスペースがあって、例によって橘川幸夫が顧問になって、「高円寺ガード下大学(ガー大)」というのをやっているらしい。そのイベントとして橘川と小林弘人氏のトークライブがあるというのでやってきた。

橘川の自己紹介が暴走、30分たってやっと東中野駅前の橘川の写植屋の仕事場兼住居にロッキングオンの編集部が同居を始めたあたり。コバヘン氏がなんとか手綱を引いてメディア問題に話をもどそうと苦闘されていた。

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橘川、柴田さんはじめ日販のみなさん、近く起業家に転身する某氏らと北口近くのバーミィーへ。サンミゲルを2本飲んだところでタイムアウト。

前項にひきつづき、天ぷらの揚げ方を少々。

煮物は多少煮過ぎても味が大きく変わることはない。角が崩れたり煮汁が煮詰まるなどあっても大勢に影響ない。焼き物は焼き過ぎれば焦げるし、身がぱさつく。焼きが足りなければ生で、ちょうどよいころ合いの時間の幅は少なくなる。これが揚げ物になるとタイミングがさらにシビアになるので日曜料理人には敬遠する向きが多い。

しかしこれもやってみればそう難しいものではない。要は慣れだ。失敗を恐れず挑戦していればそこそこのレベルに達するのに30回もかからないだろう。

以下、天ぷらの揚げ方のヒントを思いつくまま。ただしこれは「しゃりっとした薄い衣」の天ぷらの揚げ方だ。外で食べる分にはどてらを着た伝統的天ぷらもそれなりうまいが、家で再現するのは難しいと思う。(またカロリーが高くなる)

・天ぷら温度計は必須。精密機器ではないから目盛の表示温度が実温度ではない。何度か実際に揚げて目分量でカリブレーションしておく。

・魚介類はできるだけ高温(190度前後)で揚げる。掻き揚げ、でんぷん質の野菜(カボチャ、イモ類)は160度くらいで揚げ始め180度くらいに温度を上げてからっとさせる。

・天ぷら鍋の上で油を切ると温度が下がらないので油切れがよい。

・食事の準備は天つゆ、冷えたビールなどすべてすませ、揚がると同時に食卓に出して食べる。

・野菜は少し甘口の天つゆ、魚介は塩が持ち味を生かすと思うが、これも好み。

・衣は生クリームに牛乳を同量加えたぐらいのぴしゃぴしゃの薄い衣が揚げやすい。粉はなんでもよい。市販の天ぷら粉を使ってもいいし、小麦粉と卵でもいい。実は薄い衣の場合、小麦粉だけでもさほどできは変わらない。

衣をつける前に素材に十分に粉をまぶす。

掻き揚げの場合、素材に粉をまぶした後、卵液を少量かけて手でほぐす。そのあとで衣を加え、ざっと混ぜる。卵液がつなぎになって散りにくくなる。

・火の通りぐあいは、素材の浮きぐあい(火が通ると浮く)、泡、匂い(揚がると香りがしてくる)、箸で触れた感触などで判断する。

・特に重要なのが泡の出方。最初は衣から出る微小な泡が素材を一面につつむ。やがて素材が熱せられると水蒸気が小さな泡になって出る。加熱が進むと大きな泡になり、素材の水分が抜けてくると泡がまた小さくなる。素材の種類と好みによって引き上げるタイミングを覚える。

・魚介類は余熱を考える。キスやメゴチなどは少々揚げ過ぎてもよいが、エビは身が真っ白になっていては揚がりすぎ。プラスチック消しゴムのようにやや半透明な白になるぐらい、ホタテはまわりが2mmほど白くなり、中心が生でほんのり温かく(45度-50度)なるくらいが甘味があっておいしい。

・高級専門店は別として、普通の店では大量の注文を短時間にさばかねばならないので、油の温度を素材ごとに厳密に最適化できない。その点、自家製天ぷらの方にアドバンテージがある。

・最初にイモ、カボチャなどでんぷん質の野菜を最低温で揚げ、次にやや温度を上げてナス、シイタケなど。掻き揚げは低温→高温で揚げる。次に高温のままキス、メゴチなどを揚げ、次にホタテ、イカを手早く揚げて、余熱で火を通す。最後に最高温でエビを一瞬で揚げ、大いそぎで食卓へ。

・あまった天ぷらはラップをかけて冷蔵庫で保存。オーブンレンジで5分ほど再加熱して茶漬けにすると翌日の軽食によい。ナスの天ぷらはコブ出しで煮びたしにしたのもおいしいので大量に揚げておいてもよい。

天ぷらは段取りに慣れれば短時間で調理できるのもよい。あらかじめ蕎麦汁を用意しておけば、前の記事で写真を載せた天ざるなど冷凍庫を開けてブラックタイガーを取り出してから食べ始めるまで15分くらいのものだ。エビ天丼ならもっと早くできる。安い素材を手早くおいしく食べるのに天ぷらは絶好だ。ぜひ挑戦していただきたい。

この頃、天ぷらの揚げ方に自信がついてきた。音、泡の出具合、匂いで揚がりぐあいがかなりわかるようになった。エビ、ホタテ、ナス、大葉のような定番は十中八、九満足いく。冷凍ブラックタイガーでも好みの火の通り具合で揚がったのを熱々で食べればそれなりにうまい。

昔から天ぷらには目がなく、学生時代の天丼いも屋から始まってつな八、ハゲ天、天あさ、と天ぷら屋にかなりのお賽銭を払ってきた。投資の甲斐があったか。

蕎麦は昔からひいきにしている製粉所の業務用乾し蕎麦。長さが40センチ近くあって手繰りがいがある。もちろん味も乾し蕎麦としてはトップクラスだ。

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クーリエ・ジャポン(講談社)は時折立ち読みするだけだったが、今回初めて買ってすみずみまで読んだ。カバーストーリーだけでなく、全体に記事のレベルが高いことを発見。翻訳も読みやすく、デザインもよい。

「サヨナラ、新聞」特集の元ねたはアメリカの中道保守系の老舗総合誌The New Republic。Paul Starrプリンストン大教授の概論がメイン。Tehcrunch 日本版やメディアパブの読者には周知の情報だが、活字媒体でアメリカの新聞の壊滅的現状がこれだけまとまった形で紹介されるのは珍しい。

しかし、クーリエ・ジャポンのサイトを見れば一目瞭然だが、この雑誌自体のオンライン対応はないに等しい。個別記事へのパーマリンクさえないから驚く。これだけのコンテンツを紙でしか出さないのはもったいない。なぜウェブに展開しないのか?(アップデート参照)

そういえば、少し前に講談社ポータルサイト編集部解散 デジタル事業が頓挫?という記事が出ていた。印刷物を写真に撮って並べただけのポータルともいえないサイトが儲かるわけがない。

「サヨナラ、新聞」の前に日本では「サヨナラ、雑誌」の日が近付いているのだが。


アップデート:Twitterで@fumi氏から「クーリエ・ジャポン」はiPhone戦略だとご指摘あり。ありがとうございました。

なるほどサイトにiPhoneのタブがあった。1号分のフルバージョンが350円で無料のライト版もあるという。

それはたいへんけっこうだ。講談社じゃ「オンラインメディアが誰もわかってないらいしい」というのは取り消し。

しかしクーリエ・ジャポンのサイトのトップページを一見しただけではiPhoneで配信されているとは気付かない。いくらiPhoneがブレークしはじめているといってもそのリーチはまだウェブ全体とは桁違いだ。App Storeで本当に売ろうとするならサイトのトップの目立つところにリンクを載せるべきだろう。(iPhoneで配信中というウィジェットは右サイドバーのスクロールしなければ見えないような下の方に貼ってある)。各号のパーマリンクすらあるのかないか分からないようなデザインにしておく理由にはなるまい。

クーリエ・ジャポンがApp Storeで買えるのはけっこうだが、それならどうしてもっと効果的に周知させようとしないのか? まるでiPhoneで売っているのを知られたくないようだ。というよりどうもそれが本当のところではないのか? 書店、取次を怒らせまいと戦々恐々の社内保守本流にデジタル勢力が抑えこまれるというよくある話ではないだろうか?


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AMN ブロガー勉強会の続報。議事録はこのTwitterの生中継がどうもいちばん詳しくて現場の雰囲気もよくわかる。

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5、6人でランダムにtweetしているのだが、全体としてうまくカバーされてちゃんと「議事録」になっている。Twitter中継は予想以上の威力だ。ライブブログよりずっと手軽で、バイラルな拡散係数も比較にならないほど大きい。

ここで、まったく仮定の話になるが、Twitterがある種のメインストリームメディアになったとき、組織的なデマ、中傷、宣伝などのスパムのターゲットになったらどうなるだろう?

2chの場合だとたちまち「工作員乙」、「知ね」、「通報しますた」などの罵倒の洪水にのみ込まれて一種の「原始的自浄能力」が働く。ところがmixiのようなクローズドで比較的狭い実名ベースのコミュニティーに運悪く各種の「確信犯」が入ってくると一般人は正面切って争いたくないから沈黙し、最後にはコミュニティーを離れてしまう。いわば「悪貨が良貨を駆逐する」現象が起きる。

これは杞憂ではない。Googleが検索エンジンとして成功したのは、ページランク・アルゴリズムがGoogle以前に蔓延していた「検索エンジンスパム」を一掃できたことによる。

もちろんTwitterはmixiよりオープンだしユーザーベースが広い。また不愉快な相手だけをフォローから外すこともできる。「群衆の叡智」が働く方向で平衡に到達することを期待したい。

アジャイル・メディア・ネットワークのブロガー勉強会に参加してきた。講師の岡田有花さん(ITmedia)、kengoさん(Going My Way)に加えて、小飼弾さん、橋本大也さん、川本一郎さんを始め、いつも演壇の上にいるような皆さんが参加されていた。パネルディスカッションが4つくらいできそうな豪華メンバーだった。遠距離通勤者の悲しさ(プラス、折悪しく締切をかかえていて)懇親会は乾杯だけで中座。痛恨。

内容についてはおって続報。

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<p>地下鉄で既視感に襲われた。「サイモン&ガーファンクル、武道館公演」という中づりのせいだ。プロモーターもウドー事務所。ローリングストーンズの公演の切符徹夜で並んで買ったら麻薬の前科かなんかでキャンセルになったの、あれもたしかウドー事務所だったよな。デジャヴっていえばクロスビー・スティルズ・ナッシュ & ヤングにそういう曲があった。卒業って映画、考えてみるとむちゃくちゃ身勝手な主人公だよな。とそれからそれへと連想が湧いてきた。

家に帰ってからYouTubeでサイモン&ガーファンクルを聞いているとA Simple Desultory Philippic (Or How I Was Robert McNamara'd into Submission)がまた懐かしい。邦題はたしか「簡単で散漫な演説」とかういうので、日米問わず、別にヒット曲ではない。

なぜ印象に残っているかというと、当時のアメリカ文化、というかアメリカのインテリ大学生が熱心に議論するような相手の名前がボブ・ディランからロバート・マクナマラまで(今でいえばラップ調で)延々と並べられるからだ。

当時中学生だったか高校に入ったばかりだったか覚えていないが、さすがにボブ・ディランとマクナマラくらいは知っていた。しかしディラン・トーマスもフィル・スペクターもバリー・サドラーも知らなかった。

そういえばフィル・スペクターは最近殺人罪で懲役19年を言い渡されて、たぶん生きてるうちには出てこられないだろう。

バリー・サドラーはまったくアメリカならではの人物で、経歴もフィル・スペクターに劣らず波乱万丈だった。アメリカ陸軍のグリーンベレーの2等軍曹としてベトナム戦争の英雄となり、グリーンベレーのバラードを作詞作曲歌唱してヒットさせる。その後作家に転じて「Aチーム」や「永遠の傭兵」シリーズを書く。よくわからない状況で知人を射殺、傷害致死で服役した後、グアテマラでコントラ・ゲリラの指導しているときにタクシーの中で頭を撃たれ、1年後に死亡した。

と、話が飛びまくったが、実はロバート・フロストやエミリー・ディキンソンといったアメリカの現代詩人を知ったのもポール・サイモンの詞の中に出てきたおかげだった。

<p>ポール・ニザンが(もうこんな作家誰も読んでいないだろうが)どう言おうと、若い時にはいろいろなことが新鮮で、もの覚えは非常によい。

イランの改革派は抗議活動の組織と海外への情報発信にTwitterを活用している。山崎冨美さんのブログが「Twitterとメディア」が必読。

事実関係をてぎわよくまとめた後、Clay Shirkyのスピーチ、How cellphones, Twitter, Facebook can make history〔携帯電話、Twitter、Facbookが歴史を作るようになる〕など幅広く可憐情報紹介し、日本の(いつもながら)のどかな事情とやんわり対比させている。

この記事自体がTwitter経由のバイラルで大きな反響を呼んでいる。それ自体新しいジャーナリズムのひとつのモデルを予感させているところが興味深い。